両思いでないことが寂しい。

ことあるごとに飲みに誘ってくれる人がいる。すごくピンポイントにこの日とこの日がいい、とずいぶん先の予定を教えてくれる。絶対にその日を空けておいてくれという意味だ。最初の1、2回はたまにのことだからと思って予定を合わせて飲みに行ったりした。スパンとしては多くても月に1回くらいのこと。今、たまの1日、もっと言えばたまの数時間を作ることすら面倒になってきている自分がいる。

悪い人じゃないし、てかいい人だしとかとかありがちなことをひと通り考えてから、私はひどい人間だという結論に至る。本当に面倒なのは、たまの数時間を作ることではなくって、こうして誰かのことを面倒だと思う自分をひどいなと思ってしまうことなんじゃないかな。

面倒なら面倒で構わないのにひどいなと思ってしまうのは、自分が誰かにそう思われたら嫌だからだと思う、たぶん。自分が誰かを好ましく思って一緒にお酒を飲みたいな、ごはんを食べたいなと思って誘った裏で、相手が面倒だと感じていたらすごく嫌だなと思う。すごく寂しい。

でも、それをやってんだよなこれが。

遠因には時間が有限だ(と感じている)ということがあるとは思う。学生の頃みたいな心の余裕がないせいか、人間関係のグラデーションのあるところからスパッと切ってしまうと楽になる一線があるような気がして、でもそれがもったいないことだって一方では思ってるみたいなところがある。

だから、できることなら快く受け入れてその時間を楽しみたい。でも、相手が自分に対して好意を持っていると感じるほど同じだけの好意を返せないことに疲れ果ててしまう。相手の好意が重いというより、自分の好意が返されない可能性に気づいて寂しくなってしまう。

別になんとも思っていない人から好かれ続けることがこんなに寂しいことだなんて思いもしなかったわ。

って大げさだけど、恋愛に限らず友だちや知人でも両思いなんてそうそうあることじゃないし、両思いの関係があるなら大事にしないとなと思いましたという話でもあるし、寂しい寂しいと言いながら結構ハートが強いので、自分が好きだと思っている人に対して自分が好かれているかどうかちゃんと確認する旅にも出ようと思いました。両思いかどうかは早めに確かめておいた方が時間の無駄がないと思います。