もしも黄色い声が出せたなら。

もしも私に黄色い声が出せたなら、
言葉にならない黄色い声で「キャー!」っと叫んでしまう。
モーニング娘。を見て、そう思いました。

いつも単独ツアーごとに1回はどこかで入ろうと考えていて、武道館があれば武道館と決めています。
そうすると自動的に1公演くらいしか観られなくて、観たあとは「どこかこの先で入れるところはないか」といったん探します。本当はもっと、あとちょっと、観たい。でもそのくらいのところで距離をはかっている感じがあります。

私にとってモーニング娘。は「存在」ではなく、「概念」であり「思想」であり「哲学」。

もう少しわかりやすく言うと、メンバーではなくてグループ。
もっと言えば実はグループでもなく、楽曲なのかも知れません。
つんくちゃんのメッセージを楽曲として受け取るためのイタコがモーニング娘。と言い換えてみると、なんだか納得するところもあります。

そんな私が「モーニング娘。誕生20周年記念コンサートツアー2018春~We are MORNING MUSUME。~ファイナル」に行ってきました。そして出した結論。

 NHK大阪ホールで見てきたときから陥っていた、同じ子しか歌わない→歌っている子しかビジョンに映らない→人数が多くてビジョンを通して視界にはっきり入ってくる子しか認識できない→メンバー個々の把握ができない→モーニング娘。は思想!(と言うしかない)という今までのパターンをきれいに覆してくれた公演でした(前回の武道館はステージからほぼ90度の位置でビジョンが見えなかった)。

歌で聴かせる曲とフォーメーションダンスで見せる曲を取り混ぜた最強のセットリスト。
往年の名曲から最新曲まで、究極に盛り上がることを考えて作り上げられたそれは、音楽的な素養がゼロなのでそれなりの言葉で言うと「情緒おかしなる!」やつでした。「めっちゃしっとり歌い上げたかと思ったらぶちアゲてくる」。しかもそれが1度ではなく、何度も繰り返される。
「開演に間に合わないかも!」と仕事終わりで駆けつけてくる同行者に、「娘。は何度も盛り上がりがあるから大丈夫やで~」と知った顔で伝えた私ですが、メンバーが「これから後半戦です~!」と言い出したとき、「このコンサートはもしかして一生終わらないんじゃないか」と疑ったくらいです。
誰にも頼まれてないけど料理にたとえたら、韓国料理みたいなものです。頼んでないつもりのものまでいっぱい出てきて、ありがたく全部おいしくいただいたらまたおかわりが出てくるみたいな。これは一生食べ終わらないぞというあれです。

それくらい濃い。
それをさらに濃く言い換えて「こゆい」と言ってもいいかも知れない。

しかも楽曲は「しっとり」と「ぶちアゲ」だけじゃなくて、360℃いろんな角度に向かって振り幅が大きい。したがって、それぞれのメンバーのいいところが発揮される場面が全員にまんべんなくたくさんあるわけです。それが長時間連打される。どう思いますか。ちょっとすごくないですか。
しかもつんくちゃんの言い方を借りたらみんな「顔で踊ってる」感じがあった。もちろんスキルや経験は、人によってちがうし探そうと思ったらいろんな粗や加点ポイントを見つけられるんだけど、そういうのはすべて超えていたと感じました。全員が「顔で踊ってる」。言い換えると「『私』が全面に出てる」。みんな「私が世界の中心」って顔をしていました。これはもう最高です。
見終わったあと、全員のことがそれぞれ全然ちがう理由で「なんか気になる」存在になっていました。

残念ながら黄色い声が出ないので、
そのかわりにずっと「フー!」と言っていました。