ボンクラに生きていきたい。

私は自分をボンクラだと思っていたので、これまでずっと「ボンクラなまま生きていきたいなあ」と思ってきました。そして今その願いが無事叶って、一番ボンクラに生きているという実感があります。

「仕事をやるならめっちゃがんばりたいな」とこないだまで思っていたのですが、なんだかここ最近はそう思わなくなってきたようです。

ボンクラな私にも「誠実な仕事がしたい」という気持ちはあって、日々誠実であるかくらいは最低限、自分に問うているように思います。

しかしそれは寝る前には歯を磨くくらいのことでしかないと思うので、これまでの自分であれば「もっとがんばりたい」と思って、でもそれができないことにすごく腹を立てたりしていたんじゃないかな。

「ぼんくら」と辞書で引くと「頭のはたらきがにぶく、ぼんやりしている・こと(さま)。そのような人をもいう。まぬけ」とあります。

私は年を取って、確実に鈍感に、そして鈍感になっていることに対しても鈍感になっているのだと思います。
たぶんちょうどよくマヌケになってきています。

今私がこの環境で「もっとがんばりたい」という願いを持って何かをするとなったら、関係している人をひとり、ないしふたり、殺さないときっと話は進まないと思います。穏やかじゃないですね。

すごく大変だったり面倒だったり物理的に多っ!みたいなことを「がんばっている」と思わずにやれるのは、「がんばっている」からではなくただ生まれ持った処理能力がそれなりに高いからだけです。
処理能力が高いこととボンクラであることは両立します。

果たしてこれは不幸か。
どうでしょうか。

人の目が気になる人にとっては不幸かも知れません。頭が良くて洞察力に優れた人から見たら、私は志を持って仕事と向き合えない環境にあって(かわいそう)、がんばっていない(サボッている)ように見えると思います。これは大変だ。気になる人なら死にたくなるでしょう。

時間の無駄と捉える向きもあると思います。
確かに一理あります。でも幸い処理能力が高いので仕事はサクサク終わらせて、会社にいても自分のために時間を使っているし終わったら飛んで帰ります。
働かざる者食うべからず。そう考えると、ギリギリそんなにひどいバランスではないと思います。

今日も意外と早く1日が終わります。
今のこの環境を思うと、本当にボンクラで良かったと思います。
ただ、Twitterに書き込むくらいのレベルでは「つらい」です。「お腹空いた」と言うくらいには「つらい」な。

明日は土曜日だから6時に起きてやりたいことをいっぱりやろうと思います。
今日もじき帰ります。残りの時間で最高の1日にしますね。では、また。