ゴールデンボンバーはファン思いだというイメージについて。
おおまかに言うと仕事がない。することがない。
かれこれ2週間くらい、実は会社に来てもたいしてすることがない日が続いている。なんて贅沢なんだ。
たぶん来週からはすることが出てくると思うんだけれど、もしかしたらあと1週間することがない日が続くかもしれない。でも、焦らない。まったく焦らない。毎日ネットサーフィンをしたり、ラジオを聴いたりしている。そういう意味ではすることは全然なくならないからすごい。
そんな日々のなかで、前職の後輩が彼氏から「そんなもの見るより、歴史的建造物を見るとか外国語を勉強するとかしたほうがいいんじゃない」と言われたということで私のなかで有名なゴールデンボンバーについて見識を深めようと思った日がありました。
メンバーの名前は鬼龍院翔しか言えないけれど、メンバーのフォルムはなんとなくイメージができる。たぶん最大のヒット曲『女々しくて』もサビしか知らない。でも、彼らがテレビに出てくるとなんとなく見るし、脱いだり暴れたりしてるのを見ても不快ではなく「まだ私の知らない楽しい世界があっち側にあるんだろうな」と微笑ましい気持ちで見ています。そんな風に見ていられるのは、なんとなくですが「やさしい人たちなんじゃないかな」と感じているからです。クラスで言うと、目立つグループのなかにいておもしろいことが好きで人気者なんだけど、自分の好きなもののことを話せる地味めな中学からの友だちがいる奴のイメージ。
鬼龍院翔って圧の高いファンをいなしつつ、そんなにうわ~っていけないファンの気持ちをすくい上げてくれそうなイメージがあって好感を持っています。勝手な思い込みかな。本書いて欲しいなと漠然と思ってる。―「CDが売れない時代」に、金爆・鬼龍院翔が問いかけること https://t.co/i8KyymYfx9
— しゃかりき警部 (@syakariki_keibu) 2018年2月21日
※このリンクは今回見せたい記事じゃない方です。
どこの何にも基づかないのにまったく関係のない私が「ゴールデンボンバーはファン思いっぽいよね」なんて漠然と感じているというのは実はすごいことなんじゃないかなと思ったのですが、「鬼龍院翔 インタビュー」で検索して出てきた、billboardの記事を読んで納得しました。
すべてはファンを見るべき。ファンの方が僕の世の中なので。<中略>あと、ファンの方を大切にしていれば、そのちょっと外の人も「あ、ゴールデンボンバーのファンって過ごしやすいんだ」って思ってくれるはずですし(笑)。
「隣の区は子育てしやすいんだ」みたいな感覚なんです。僕は、他のアーティストのファンへ無理にアプローチする必要はないと思っていて。自身のファンを大切にしていれば、「あそこのファンって過ごしやすいんだね」っていうことで、僕たちのファンになってくれることもあると思うんです。どのアーティストでも、運営とかグッズとかライブとかなにかしらに不満を持っているファンはいるはず。こっちがまっとうにやっていれば、その堪忍袋の緒が切れたときにこっちに流れてくれると思うんです。いいなと思っている区へ移動する感じで(笑)。
私が思っていた「なんかやさしくてファンを大事にしてそうな」ゴールデンボンバー、ここにいた。
特にファンでいることを楽しめるように考えているのがいいなと思いました。
誰しも盛り上がるのは「ファンになる」ときです。なんか好きかも、やっぱ好きかも、めっちゃ好きかも!と気持ちが高まってブログを全部読んで曲を全部聴いて動画全部見てスケジュールを全部把握して出かけて、見て。その時期がたぶん一番くらいに楽しい。
でも、その楽しさって、その時はずっと続くって思うんだけど、意外と続かなかったりしてね。もう一度同じ刺激を探すんだけど見つからなくって、なんだかくたびれてしまったりするみたいなのは結構よくある話だと思うから。
さっそく、試しにと思ってYoutubeで『女々しくて』をフルコーラス聴いてみて、そのほかの曲もいろいろ聴いてみました。なるほど。
残念だけれどいきなり好きになりそうな予兆は感じませんでした。
でも、イヤイヤじゃなくって「この人たちはファン思いなんだよな」と思いながら聴いていました。結婚式場の前を通って、しあわせそうなふたりがみんなに祝福されながら出てくるのを見るのに近い。彼らを見ながら「全然関係ないけど、今目の前にしあわせがあるんだな世界は素晴らしいな」って思うみたいな。