スプラトゥーンとわたし。

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驚いた。自分がブログを書いてたというのを忘れていました。思い出して自分が一番驚いた。

3月頭に Nintendo Switchを買って、「スプラトゥーン2」を始めてからすっかりブログを書いていたということを忘れてしまった。夢中になってしまった。今では iPhone指紋認証が少し効きにくくなってしまったんじゃないかと思えるくらい親指が固くなってしまった。最近では人差し指も固い。「スプラトゥーン2」のやりすぎだ。

ただ塗る。
無心になって塗る。ペンキだと思っていたんだけれど、正確にはインクなんだそう。それを塗る。
その時間オンラインにいるメンバーが無作為に4対4に別れて、どちらがたくさんインクリングできたかを競うゲームだ。それ以外に、ガチマッチのようなシャチホコやアサリを相手ゴールにぶち込んだ方が勝ちみたいなモードもあるが、基本は塗って塗って塗る。
イカになってインクを潜って補充する。360℃の視界に目を向けながら、逃げて、塗って、相手にインクを塗って倒す。自分も、相手のインクを一定量以上受けたら倒されてしまう。
機能やコーディネイトでブキやギアを選んで戦う。塗られないように塗って、逃げながら敵を倒して塗る。

単純なゲームだけど、簡単ではない。
敵が強いときは視界がインクでびしゃびしゃで見えないうちにマッチが終わることがある。いつ自分が倒されたのかも分からないまま、ほとんど生きていないときもある。
時間は基本、たった3分。それを何度も繰り返す。どこから敵がくるか分からない。すごい人に聞くと、ヘッドフォンをすると姿は見えなくても音は聞こえるので敵がどこから迫っているか、どこに潜んでいるか分かるという。かなり高度な話だけど、憧れはある。

強い奴はかっこいい。
なんだか分からないけれどエレガントな奴もいる。それもかっこいい。

個人的には一発で敵を仕留められるブキは好きではない。「負けそう…いや勝てそう!いや負けるぞこれは…でも勝てた!」というのがおもしろいんであって、あっさり終わる戦いはたとえ勝ったとしてもつまらない。だから、びしゃびしゃとインクをぶちまけるブキは選ばない。
くわしい人によると、弱いブキでも強くなれるという。なんてかっこいい響きだ。
いくつかのブキを、戦うステージによって使い分ける。射程があるものがいいか、身軽なのがいいか、今のところそれくらいしかないが、使い分ける。

オンラインで仲間がいないと話にならないので、もっとプレイする人が増えればいいのにと思うし友だちは全員1台買って欲しいと思う。今、「任天堂 株」で検索した。株を買えばいいのかという気になっている。私は立派な任天堂のビック・ファンになった。

MOTHER2」をプレイしたときは、クリアという概念があったがためにクリアを目指してすごいスピードでクリアしてしまった。クリアしたら私の中で「MOTHER2」だけでなく、DS自体が終わってしまった。
でも「スプラトゥーン2」には終わりがないように思える。少なくともクリアはない。強くなりたい、エレガントに塗りたい。まだその道のりは長い。

最近では余白はなんでも塗りたくなるし、発色の良い色を見るときれいに塗られてるな~と思う。
仕事場にいる今だって、遠くにBGMとブキの音が聞こえてくるくらい。心地よい音だ。
今日も1秒でも早く帰って塗りたい。

ゴールデンボンバーはファン思いだというイメージについて。

おおまかに言うと仕事がない。することがない。
かれこれ2週間くらい、実は会社に来てもたいしてすることがない日が続いている。なんて贅沢なんだ。
たぶん来週からはすることが出てくると思うんだけれど、もしかしたらあと1週間することがない日が続くかもしれない。でも、焦らない。まったく焦らない。毎日ネットサーフィンをしたり、ラジオを聴いたりしている。そういう意味ではすることは全然なくならないからすごい。

そんな日々のなかで、前職の後輩が彼氏から「そんなもの見るより、歴史的建造物を見るとか外国語を勉強するとかしたほうがいいんじゃない」と言われたということで私のなかで有名なゴールデンボンバーについて見識を深めようと思った日がありました。

www.youtube.com

メンバーの名前は鬼龍院翔しか言えないけれど、メンバーのフォルムはなんとなくイメージができる。たぶん最大のヒット曲『女々しくて』もサビしか知らない。でも、彼らがテレビに出てくるとなんとなく見るし、脱いだり暴れたりしてるのを見ても不快ではなく「まだ私の知らない楽しい世界があっち側にあるんだろうな」と微笑ましい気持ちで見ています。そんな風に見ていられるのは、なんとなくですが「やさしい人たちなんじゃないかな」と感じているからです。クラスで言うと、目立つグループのなかにいておもしろいことが好きで人気者なんだけど、自分の好きなもののことを話せる地味めな中学からの友だちがいる奴のイメージ。

 ※このリンクは今回見せたい記事じゃない方です。

どこの何にも基づかないのにまったく関係のない私が「ゴールデンボンバーはファン思いっぽいよね」なんて漠然と感じているというのは実はすごいことなんじゃないかなと思ったのですが、「鬼龍院翔 インタビュー」で検索して出てきた、billboardの記事を読んで納得しました。

www.billboard-japan.com

すべてはファンを見るべき。ファンの方が僕の世の中なので。<中略>あと、ファンの方を大切にしていれば、そのちょっと外の人も「あ、ゴールデンボンバーのファンって過ごしやすいんだ」って思ってくれるはずですし(笑)。
「隣の区は子育てしやすいんだ」みたいな感覚なんです。僕は、他のアーティストのファンへ無理にアプローチする必要はないと思っていて。自身のファンを大切にしていれば、「あそこのファンって過ごしやすいんだね」っていうことで、僕たちのファンになってくれることもあると思うんです。どのアーティストでも、運営とかグッズとかライブとかなにかしらに不満を持っているファンはいるはず。こっちがまっとうにやっていれば、その堪忍袋の緒が切れたときにこっちに流れてくれると思うんです。いいなと思っている区へ移動する感じで(笑)。

私が思っていた「なんかやさしくてファンを大事にしてそうな」ゴールデンボンバー、ここにいた。
特にファンでいることを楽しめるように考えているのがいいなと思いました。
誰しも盛り上がるのは「ファンになる」ときです。なんか好きかも、やっぱ好きかも、めっちゃ好きかも!と気持ちが高まってブログを全部読んで曲を全部聴いて動画全部見てスケジュールを全部把握して出かけて、見て。その時期がたぶん一番くらいに楽しい。
でも、その楽しさって、その時はずっと続くって思うんだけど、意外と続かなかったりしてね。もう一度同じ刺激を探すんだけど見つからなくって、なんだかくたびれてしまったりするみたいなのは結構よくある話だと思うから。

さっそく、試しにと思ってYoutubeで『女々しくて』をフルコーラス聴いてみて、そのほかの曲もいろいろ聴いてみました。なるほど。
残念だけれどいきなり好きになりそうな予兆は感じませんでした。
でも、イヤイヤじゃなくって「この人たちはファン思いなんだよな」と思いながら聴いていました。結婚式場の前を通って、しあわせそうなふたりがみんなに祝福されながら出てくるのを見るのに近い。彼らを見ながら「全然関係ないけど、今目の前にしあわせがあるんだな世界は素晴らしいな」って思うみたいな。

NIKE AIR MAXを買いました。

高校のとき、バイトしてA.P.C.のセットアップを買ってしまうようなおしゃれすぎる友だちがエアマックス詐欺に遭った。お金を振り込んだけれど物が送られてこず、テレビのニュースにもなりました。結局、京都の田舎の高校生にはエアマックスは手に入れられず、私もこれまで履くタイミングを逃していたのですが、初めて買いました。履くとぽいん〜ぽいん〜ってなるんですね、エアすごい。

同じ日の夜、Mステに小沢健二が出ているのを観ました。
台風でテレビのアンテナが壊れてケーブルテレビを入れることになった高校1年の夏、スペシャで「愛し愛されて生きるのさ」のMVを観ていたら、またアンテナが壊れたんじゃないかと母がびっくりしていたのを覚えています。


小沢健二 - 愛し愛されて生きるのさ

Youtubeのコメント欄を見ていたら「リアルタイムに中高生とかで聴いてた人が羨ましい」みたいなのを見つけてほほえましい気持ちに。ついこないだも下北でごはんを食べていたら大学生が「押さえなきゃいけないものたくさんあってやばい。『鉄コン筋クリート』読んだから今度は」みたいな90年代カルチャーの話をしててわおっ!てなったけど、気づけば自分が彼らにとっての生き字引的なものになりうるのかと思うとなんだか新鮮です。

2018年に見た小沢健二は、と言うかその隣の満島ひかりがとてもまぶしくて、嫌いなのに好きという気持ちになりました。かなわねーな!と思う男と仲良くしてる女。そういう女はすごく嫌いだけど本当は大好き。でも嫌い。そういう気持ちにさせる満島ひかりは悪い女。でも大好き。小沢健二と一緒にいることで余計、好きになってしまった。

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こういうの本当に嫌いだけど、好き。

バーフバリは秘密の呪文。

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○○できない人は人生のうんパーセントを損しているみたいなことを言う人がいるけれど、『バーフバリ』を観れていなくてもたぶん損はしない。ただ、『バーフバリ』を観る機会に恵まれた人は幸運だと思います。

『バーフバリ』を観てもモテないし賢くならないし痩せもしないけれど、140分間、あの世界に行って帰ってきたら、ちょっとだけ現実の見え方が変わった気がしました。元気が出たとかもっとがんばろうと思ったとかそういうのとも少し違って、ひとつ新たなルーチンが加わったみたいなそんな感じ。

ルーチンって、ただの習慣みたいに捉えるとおもしろくなくって、発明!くらいに考えるのがちょうどいい。これをすることで私はあれができる。自分のご機嫌のとり方が分かるというのか自分を少しなだめて気持ちよくする技術。そういう種類のもの。それがたった140分で得られるというのはすごい。

具体的に言うと、これから何かやるぞってとき、あとちょっと!みたいなとき、そういうときに「バーフバリ!バーフバリ!」と心の中で唱えるだけ。それが新しい私のルーチン。バーフバリは強い。バーフバリは負けない。バーフバリは向こう見ず。バーフバリは戦いだけじゃなくちゃっかり恋もする。「バーフバリ!」と唱えるだけでほら、力がみなぎってくる。
実用例としては、ベンチプレスの最後の3回は「バーフバリ!バーフバリ!バーフバリ!」と声をかけながら上げています。

なんのこっちゃ意味がわからんわという人のためにあれこれと説明するというやり方もあるけれど、説明したから観たくなるタイプの映画でもないと思うので知らない人は自分で検索してください。

あと、『バーフバリ』を楽しめる女と楽しめない女がいたとしたら、私は楽しめる女と結婚したいと思います。こないだ勧めたうちのひとりは観たあと「すごいのは分かるけど、どこがおもしろいの?」とわりと真顔で言っていました。うっかり付き合う前に『バーフバリ』観といてもらって良かったです。冗談です。

成り行きには遠い関係。

会社のAさんとBさんが思わぬ場所で一緒にいるところを目撃したと同僚から聞いた。風の噂になる前の、目撃した本人からのタレコミである。

AさんとBさんの組み合わせは意外性たっぷり。接点を思い浮かべてみても、たとえば「みんなで飲みに行くか!となったときにお互いその場にいたんです」とか「仕事終わりでそのままごはんを食べに行ったり」なんていうよく聞くなりそめエピソードは思いつかない。

目撃者が口の軽い人間だったら「ちょっとどう思う?」と少なくとも3人くらいには聞いてみたことだろう、と言うか「ちょっとどう思う?」のテンションでひとりにでも喋ろうもんなら、それこそまたたく間に広がってみんなの知るところとなっただろう、と思う。
それくらい意外なふたりが、本当に偶然、妙に口の固い人に目撃され、たまたま私がその目撃者の親しい同僚だったという具合だ。

いろんな可能性を考えてみたけれど、自然とふたりが結びつくような事の運びは想像がつかない。彼らは成り行きとはもっとも遠い関係のように思える。だとしたら答えはひとつ。どちらか、あるいは双方に明らかに事を運ばせる情熱のような衝動のようなものがあったということだ。成り行きを待たずにどちらかが何かのアクションを起こしたということにほかならない。なるほど。これはすごい!

たまたま置かれた環境とそれに伴う成り行きにより、なるべくしてそうなったんだろうというカップルを多く見てきたし、反対に成り行きが起きる環境が整わないことで相手がいないと嘆く人も多い。たまたま同じ会社に勤めていたという環境は整っているので、自然な成り行きがもたらされるまで偶然のタイミングを待って、本当にその時が訪れてなるべくしてそうなったという可能性も考えられるけど、ちがうだろう。世界はそんなにドラマチックじゃないと思う。

きっとどちらかが、なかば唐突にもう一方に接近したにちがいない。積極的なんだけどたぶんほかの誰にも気づかれない方法で、どうにかなろうと試みたんだと思う。そう考えるとすごいな。そんな強い気持ちがこのオフィスのどこかにあったんだと思うとなんだかたのしい気持ちになってくる。いいぞもっとやれ。頼まれてないけど応援するから、弾み車がぐいっと動いた瞬間の話を聞かせてくれないかな。

目撃者に固く口止めをされているので会社の誰にも喋れないし、彼らの本当のところも確かめようがないので、穴を掘って誰かに話したくなったのでした。